強い絆で結ばれた寿建設と、皆の笑顔が集まる住まいづくり
父の影響で建築の道へ
建具屋だった父の影響で同じ建築の道へ進む決意をしたのが、高校生の時。
高校卒業後は職業訓練校の建築科に進みました。
訓練校のクラス担任がたまたま某建築会社の社長のお兄さんだったということもあり、卒業後はその会社で働かせていただけることになりました。
家具職人としてスタート、後に断熱パネル製造部門へ
建築会社でありながら家具工場も持っていたその会社で、最初は家具職人として家具製作に携わらせていただきました。
その後、会社が断熱に力を入れだしたタイミングで、断熱パネル製造部門に異動が決定。実験的に製作していた断熱パネルが業界で注目されるようになり、本州からもたくさんのお問い合わせをいただくようになりました。
本州で営業所の立ち上げ担当に
そして本州進出が決定。新しく本州に出来る営業所の立ち上げと、工務店や建築会社に向けた営業を担当することになり、生まれ育った札幌を出ることになりました。
今では信じられないような話なのですが、当時は断熱材が入っていないような家が沢山あり、本州の建築会社さんは私達が開発した断熱パネルに興味津々。その断熱パネルは大変な好評を得ました。
私も次々にできる営業所立ち上げに携わり、実績を積んでいきました。
断熱パネル部門から営業部へ
ある時、「新しく本州にできる営業所立ち上げの準備が整うまでの半年間、札幌の営業部に籍を置くように」との通達があり、一旦、札幌へ戻ることが決まりました。
半年という期間限定だったので会社も「ぶらぶら適当にやってて」とのことでしたが、私は大変真面目だったので(笑)、人生初めての「住宅営業」の仕事に真面目に取り組んでみようと思い、完全な独学で営業の仕事をやってみることにしました。
やってみるとこれが意外と楽しくてですね・・、最下位からのスタートだったのに、メキメキと契約がとれるようになり、あっという間に30人ほどいた営業の中で1位を取るようになるまでになってしまったんです。
それだけの契約が取れるようになってくると営業の仕事が楽しくて仕方ない状態になってしまい、当初予定されていた断熱パネルの営業所立ち上げの仕事を断り、住宅営業を続けてやらせてもらうようお願いしました。
独立を決意、1からのスタート
こうして営業を続けていくうちに、もっと自分の思うように仕事がしたい、と思うようになり、断熱に関する知識や住宅に関する様々な知識を習得させていただいた会社に感謝しながら独立を決意。1からのスタートを決意しました。
最初はつても何もありませんから、ピンポ~ン♪「何かお困りごとありませんか?」と1件1件のお家をまわり、お仕事をいただいておりました。
朝から晩までまわると、何かしら頂けるんですよ、仕事が。
ドアの取っ手が取れちゃった、ガラスが割れちゃってるから直したい、床を張り替えたい、畳を張り替えたい、時には電球を変えて、といったお金にならないような頼まれ事もありましたが、それも苦に思わず、とにかくやってやるぞ~!という気持ちでいっぱいでした。
新築工事の受注開始、しかし、とんでもないことに・・
そして1995年7月、有限会社寿建設へ商号変更。
1996年12月に寿建設株式会社へ商号変更を行い、住宅新築工事を開始しました。
最初の新築工事は、不動産会社の下請けとしてのお仕事でした。
訓練校の同窓会で同じクラスだった同級生が、不動産会社の社長を務めているとのことで、意気投合し、一緒に仕事をするようになったんです。
彼は級長も務めていたとても信頼できる人で、おかげでわくわくしながら新築工事に取り組めるようになってきました。
しかし・・
私は甘かったのでしょうか。信頼していたからこそなった、彼の保証人。
まるでドラマのような話でしょう。
なんと、ある日彼の会社は倒産してしまい、莫大なお金を彼の代わりに返済をしなければならなくなってしまったのです・・・。
建てたばかりだった私の家は差し押さえられてしまいました。。。
私がした借金じゃないのに・・という気持ちもありましたがもはやどうすることもできません。。とにかく必死でした。
一気に借金が出来てしまっただけじゃないんです。
彼の会社が倒産してしまったことで新築の仕事をくれる会社もなくなってしまいました。
全部仕事がなくなったわけではありませんが、あの頃を思い出すと本当に大変だったなと思います。
また立ち上げ当時の時のように、1件1件のお宅をまわり仕事を探すようになりました。
大工さんにもピンポンピンポンといろいろなお宅をまわってもらいましたし、大工さんにビラ配りもしてもらいました。
皆で一緒になんとかこらえて仕事を探して、寿建設はなんとか持ちこたえました。
家を建て替えたい、というお客様が・・
地獄のような日々でしたが神様は私達を見放してはいませんでした。
訪問先で、「ちょうど建て替えを考えていたのよね」という方が現れたのです。
考えられないですよね。訪問販売で家が売れるだなんて。
その後、大変ありがたいことに弊社で新築を建ててくれることになり、やっとの思いで家が1棟完成すると今度はそのお宅の見学会を開催。
これから新築を考えている、という方がご来場してくだされば一生懸命私達の家づくりの良さをお伝えしました。
私だけでなく、社員も大工も、皆が皆、寿建設のことを大切に思ってくれて、誇りに思ってくれて、頑張ってくれた、だから今もこうして寿建設が在り続けられています。
夢を語り、笑顔でいられる、小上がり風ダイニングの誕生
当時、まだまだ苦しい時期ではありましたが、日頃頑張ってくれている従業員、大工さんと一緒によく飲みに行っていたんです。
酔っ払ってくると、みんな夢を語るんですよ。
いつかこうなりたい。いつかこうしたい、こんなことがしたい・・。
いつもいつもベロンベロンになるまで仲間と飲み、夢を語り、飲みすぎて忘れてしまうこともありましたが(笑)、私はそんな空間、場所がとても大好きでした。
そして経営はまだ苦しかったけれど、思い切って作ったモデルハウスに、想いを込めました。
みんなでよく行った居酒屋からヒントを得、家族の絆、友との友情を深められる空間、小上がり風ダイニングを作ったのです。
波長の合うお客様との出会いのきっかけに
すると、この小上がり風ダイニングに興味を持ってくれるお客様が1人、また1人とモデルハウスに来てくださるように。
不思議なことに、この小上がり風ダイニングを気に入ってくださるお客様とは、なんだか波長が合うような気がしました。
ここから少しずつ、寿建設らしい家づくりが出来るようになってきました。
雨漏りしない、雪に耐えられる屋上庭園の構想
その後、ずっと頭の中にあった構想、「屋上庭園」をモデルハウスに取り入れました。
屋上庭園をつくる時に考えられる問題は雨漏りや冬の積雪ですよね。
雨漏りが起きてしまったらお施主様にとって大変なことになってしまいますし、「寿建設の家は雨漏りする」なんて評判がでてしまったら寿建設はもうやっていけなくなってしまいます。
その点あって屋上庭園を作ることに関しては、実は従業員皆に反対されたんですよね。
でも、その反対を押し切って、私、作っちゃいました。
絶対に気に入ってくれる方がいるはずだと。
もちろん、そういう心配事が解消できるよう、雨漏りしない屋上、北海道の冬の積雪に耐えられる屋上をと、考えに考え抜いてリリースしました。
北海道の気候を知り尽くした工務店だからこそできる屋上庭園
寿建設の屋上庭園は、北海道の気候を知り尽くしている北海道の工務店、「寿建設」だからこそできる、オリジナルの工法でつくります。
これまでに何十棟と屋上庭園の家を建ててきましたが、雨漏りしたというクレームは1件もいただいておりません。
もちろん今では営業スタッフも自信を持っておすすめしてくれていますので、反対されても諦めずに屋上庭園を実現してよかったと思います。
(ここだけの話、同業で、屋上庭園をやっている会社の営業の方も、寿建設の方が安心だと言って、こっそりウチで建ててくれた・・・なんてこともありましたね・・笑)
人が集まる、笑顔が集まる、絆が強まる家づくり
小上がり風ダイニングも屋上庭園も、人が集まる、笑顔が集まる、そんな場所です。
「家族や仲間と楽しい毎日を過ごしたい、そんな家が建てたい」
とお思いの方にピッタリな家が、寿建設だからこそ建てられます。
釣りが趣味で釣り道具がレイアウトできる家だったり、バイクが趣味で凝ったガレージのある家だったり、ちょっとわくわくしちゃうような場所がつくりたい方が寿建設には多いように感じます。
めぐり合わせなのでしょうか。
スタッフや大工も、人当たりよく、わくわくすることが大好きな人ばかりです。
先述の通り、一時期大変な時期もあった寿建設でしたが、そんな時期があったからこそ、寿建設には強い絆があります。たくさん飲んでたくさん夢を語り合って、そして皆で今の寿建設を創り上げました。
そんな私達が、あなたと、あなたの大切な人との絆を強められるような家を創り上げます。
さぁ、楽しい家を、楽しく作っていきましょう。
寿建設はまだまだ、楽しい仕掛けを作っていきますよ。
ここまで読んでくださったあなたにお会いできる日を楽しみにしております。
